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Unforgettable Brass Pounders 7
97/12/23

ウラル山脈を越えて、ヨーロッパと交信するのは難しい、というのが無線を始めてこのかたの認識だ。ラグチューとなると尚更のこととなる。これはCONDXの問題もあるだろうが、あちらでのお空がひどく混雑し、設備、ことにアンテナが簡易なものを使っている場合が多いことなどのためだろう。

DL4CF、Joe、は、ヨーロッパでは例外的にラグチュー好きの青年ハムである。彼は、東ドイツ時代からY26QH(Y62だったかも)というコールで出ていた。その後、ベルリンの冷戦の壁が崩壊しドイツが統一されてからはDL2HQHとなり、最近DL4CFを取得した。彼はReinsdorfという小さな村に住み、電力会社のエンジニアをしている。まだ30歳そこそこの新進気鋭のラグチュワーである。

5,6年前に彼にSchurrというブランドのパドルを盛んに勧められた。当時日本ではそのパドルは売られておらず、入手できないというと、一台送ってくれるという。大いに恐縮したが、やがて彼から真新しい真鍮性の重量感のあるパドルが送られてきたのだった。それはJoeの勧めるだけあって素晴らしいパドルで、私のシャック内でそれまで用いられてきたベンチャーの地位を完全に奪ってしまった。

彼のCWは、ごくオーソドックスなもので、流麗なものだ。だが、自分の話を完全に話し終えないと気が済まないらしく、一回の送信が7,8分以上にわたることもある。彼との交信は秋・冬の7メガでこちらの深夜になることが多い。その時は、私は仕事で疲れていたのだろうか、彼の演説!!を聞きながら眠り込んでしまったことがあった。はっ!と我に帰った時には、もうそこに彼はいない。その後、事情を彼に説明し謝ったが、それからしばらくの間は、なんとなくよそよそしい態度であった。

彼がWに行くというので、旧友のW6CYXを紹介したことがある。彼らは良い友人となり、Joeは彼の家に1週間ほど滞在することになった。それ以来、時々DL4CF-W6CYX-JA1NUTのラウンドテーブルを行うが、ビームの向け方が多少難しい。

バッハの生誕の地に近い彼のQTHを訪れるように何度か勧められているので、いつの日か家内と一緒に行ってみたいものだ。

鬼澤信
JA1NUT