BMの今では昔の話 (46)

 65年ぶりの出会い
 今日は2つの良い便りが入ってきた。 一つは去る年末年始 WABUN QSO PARTYの結果発表であり、もう1つは日本宮崎県の私の学校の先輩から手紙を受けとったことだ。
 さきのQSO PTYでは334局と交信をして日本局を抜いて堂々と1位になった。 2位は去る1回目と2回目1位となったJQ6QDWが今回は116局で2位を、宮崎市に住んでいるJA6URZが105局で3位となった。 ともに私としばしば会って交信をする局だ。 QSO PTY中には互いに何局目かと尋ねて激励をしながら多くの局と新年の挨拶を交わしながら15日間の楽しいPTY期間を過ごした。 コンテストは1分内にも終わることもできるがQSO PTYは楽しい話をしながら交信を楽しむPTYだ。 QSO PTYの目的は新年の挨拶を兼ねて新しい電信家族を発掘誘導して、電信の活性化をすることなのに惜しくも新しい局は多くなかった。
 次に良い便りは宮崎県に住んでいる私の先輩 JA6CKLの手紙を受けとったことだ。 一ヶ月前に初めての交信をしながら解放前にソウルにいて中央電信局に勤めていたが解放となり日本に帰った話までしたがその後JA6CKLは下関に住んでいるJA6VL峰藤氏(私とは30余年前から交信してきた)と交信して私と交信した話をして、私たちは同じ43期生でキムさんは46期だと知らせてきて同じ学校の先・後輩関係ということを知ってうれしくて手紙を書いたといった。
4年前に韓国を訪れたときにソウルのどなたかの墓まいりに行ってきたという。 それで宮崎にいるJA6EOD我が親友を通じて墓まいりに行った所がひょっとして黄氏の墓地ではなかったかとQSPしてくれと言ったところそのとおりだという回答がきた。
はやくに亡くなられた黄氏はJA4VL、JA6CKLと同じ43期生で、逓信部高位公職者であった方で私も2度会った事がある。 その方が亡くなったことを後になって知ることになったのだ。
私たちが通った逓信学校は元暁路(ウォニョロ)3街にある。 日政時代にはそこを元町3丁目といった。 逓信学校は官費生で全員寄宿舎生活をし、頭が良くて勉強はしたいが、お金がなくて進学を出来ない学生たちが全国から、また日本からまで集まって30対1、40対1の競争が激しい学校であった。 解放後逓信部高位公職者は全部逓信学校出身であった。
前回JA6CKLの手紙で毎週火曜日12時に7014で会おうということになって、今日がまさに2月9日火曜日であって12時定刻に3局がON AIRでQSOに成功した。 65年前の学校の先・後輩が会うようになったのだ。 無線でなければこういう奇跡のようなことがどうして有り得ようか? 今日を始めとして毎週会うことに約束をした。 もう老齢期に入り一人は心臓病、一人は前立腺で治療をするという。 皆がみな元気に末永く生きながら電信を楽しむことができることを切に心から願う。

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