BMの今では昔の話 (27) 天上から聞こえてくる音

全南(チョンナム)務安(ムアン)のある小学校チョンガー先生と遅い晩しばしば会って交信をした。 彼は電信に入門してからいくらも経ず徐々に徐々に電信に魅入られていく時ハンセムネットで知ることになって私は彼に熟達した助教として,専任下士として長い時間を相手してあげた。
ある時は真っ暗な夜中に窓の外に映る月を眺めながら,またある時は夜空の無数の多くの星が降り注ぐような鳥瞰を眺めて,またある時は白雪がおりる大関嶺(テグァルリョン)の深い山の中で雪が束となって降る窓の外を眺めて,またある時は夕立ちが勢いよく窓を打ち叩く時スピーカーを通じて聞こえてくる彼のきれいな電信音は,天上から聞こえてくる音なのか,森の中から聞こえてくるウグイスのなき声なのか,互いに功名を成し遂げて無念無想の深い谷に陥るように錯覚を感じる時もあった。
一方務安(ムアン)では梅雨期蛙の泣きまくる声を聞いて,真夏蒸し暑い夏蚊を追い払いながら私と夜を徹して交信をしたりもした。
米国にいる私の友人はLove CW! it's music to my ears. と言ったが私はLove CW! it's voice to my ears from Heaven.と言いたい。
務安(ムアン)小学校のチョンガー先生は今は安城(アンソン)の某小学校の教頭先生になられたし(HL2CFY)一家庭をよく導いていく家庭になった。 今はDXerとして全く遜色がなくactiveな活動をしていて私にいつもDX情報も提供してくれる。
1995年には初めてALL KDN制度ができたし1995年10月にはハンガリーで開かれた第1回世界高速電信(HST)選手権大会が開催され、ここに私の友人 HL5APを含んでHL2IBC HL3EHN HL1LQ HL1ACWなど5人の韓国選手が参加して井戸の中のカエルがまた他の世界の激しい速度競争の世界を経験することにもなった。
1995年 ALL KDNが施行されて私は最初の受賞者になってみようと目標をたてて1995年は熱心に国内局と交信をした。 私のALL KDN LISTが1995年10月23日二番目で受付られた。 最初の受付者はHL4GHJナ・イルファン局長で1995年10月11日,私より12日先に受付られた。 私は充分に一番になれたのに全南(チョンナム)谷城(コクソン)(H14)カードが約60日もたって到着したせいで一番をのがしてしまった。
KARL紙1995年11月号には私の表紙写真と共にハム生活33年のインタビュー記事がのせられたし,1997年7月には連盟インターネット ホームページが開設されて連盟のすべての業務がNET WORK化になった。
1999年12月会社生活40年,大関嶺(テグァルリョン)で17年間の歳月を締めくくって,大関嶺(テグァルリョン)の神様としての役目を締めくくり下山することになった。 世俗に別に染まらない,温室で育った草花のような私が,どのようにこの世の荒波をかき分けて行くことができるだろうか?! ?! ?! このようにして1990年代を締めくくりBMの歴史は不確かな2000年代に向かって走ることになる。

(KDN:日本のJCC、JCGを合わせたようなもの。全国を400弱に区分、コード化したもの :訳者)

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