無線電信の巧みと技

William G.Pierpont N0HFF

-改訂2版-

第13章 電信におけるメモリーの役割

 

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コードを始めに目で見て覚えると何故うまくならないか
もしモールスコードを、私がしたように、短点と長点の組合わせを印刷したチャートや心に鮮やかに印象づけるように巧妙に印刷された図版で覚えたなら、コードがわかったと感じるものです。 広告宣伝などで言っているように、おそらくコードを覚えるのにほんの20分、もしくは1、2日あればよいでしょう。 そして、自分の電鍵で何かモールスコードを送信しようとしたら、簡単にできます。 文字の各構成要素を長く覚えておく為に、心の中に生き生きとしたイメージがあり、そしてこのことがモールスコードを知ったことになる、と思えるからです。

しかし、モールスコードを受信し始めたその時に、トラブルが起きます。 耳に入ってくる音は、知っているはずの短点と長点と全く一致しないでしょう。 コード音を、短点と長点に変換し、十分に知っていると思われる文字に代えるのがなぜそんなに難しいのでしょうか? 記憶について研究している人々は、我々はいくつかに分離した記憶場所を持っていると説明しています。 一つは視覚であり、一つは聴覚であり、他に触覚、味覚、嗅覚です。("Memory:Surprizing New Insights Into How We Remember and Why We Forget"- Elizabeth Loftus,1980 参照)

さてその理由を考えてみましょう。 耳から入ってくるコード音は、鮮やかな視覚上のメモリとは、全く直接の繋がりが無く、二つの違う感覚(聴覚と視覚)であり、それらは互いに関係をもっていません。 即ち、音のパターンを視覚上の短点と長点のパターンに変換して、それをメモリそのものが存在する記憶場所で、視覚上のメモリがそれらを解読するためには、その間隙を埋めて、それらを関係付けるために、橋渡しする意識付けが必要となります。 こういった事が、何故つまずき、ある時間の制約の元でしばしばミスを犯し、また完全に失敗さえするかの理由となります。 この方法を続けようとすれば、個々のコードをそれらに結合させるために、もう一つのリンクが必要になります。 これを完成するには、多くの時間がかかり、完成したとしてもまた新たな危険が発生してきます。 それは二つの起こりうる通路(一つは意識しているもので、もう一方は新しい結合によるもの)の間の干渉といった危険性で、結果としてためらいが起こる可能性があります。

我々の記憶というものは、複雑なメカニズムをしてます。 記憶に関しての実験的な研究では、我々は数種類だけでなく、いくつかのレベルのメモリを持っているということを多年にわたり示しています。 最初は感覚のレジスタと呼ばれるのもであり、我々が何かを見たり聞いたりする時間が短ければ短いほど、あたかもある瞬間それを依然見たり聞いたりしているかの様な意識で持続していますが、やがて急速に消滅します。 しかしながら我々が、視界(視覚)と音に意識して注意を払うなら、適切な短時間メモリに入り、そこで15-20秒間留まり、消えていきます。 我々が慎重に少しでも長く覚えておこうとし、強い意識の元で長時間メモリバンクに送り込む努力をしない限りいずれ消滅するでしょう。

長時間メモリは通常我々が、記憶力と考えているものです。 我々のほとんどの人にとって聞いたことより見たことの方が覚えやすいので、勉強する上で視覚的なアプローチは、より一層魅力的です。 しかし明らかに、モールスコードを受信することは、聴覚の問題であるので、我々は聴覚のメモリバンクを訓練する正しい方法から始めるべきです。 さてこれで初めからモールスコードを目で見て学ぶ事がなぜ上達を困難にし、前進するのに重大な障害を造っているか、理解できました。

 

更なる質問と考え
モールスコードを受信したときに、我々の心と頭脳の色々な部分での入り組んだ相互作用は、どのように進行しているのかという疑問が起きてきます。 記憶に関する研究では、通常我々が十分に意識している事に関心をもたれ、そして覚えるもしくは忘れるといった点を要求されます。 しかしながら、モールスの技能向上においては、心の無意識の部分と有意識との関連が注目され、いかにそれらがメモリと結びついているかによります。

我々の電信技能が上達すると、言語の組立ての第一歩はより一層無意識の行為になり、我々の意識に注意をもたらしたり、もたらさなかったりします。 コピーしている過程では、その内容の意識はおそらくゼロです。 受信した事を機械的にコピーし(書取り)、一方では全く関係の無い事に意識がいっているかもしれません。 しかしながらモールスコードを解読する上では、最初に単語を意識し、その後で正確に単語に気が付くというよりも、伝えられた思想内容に意識が行きます。 技能レベルが上達すると、いずれにしても単語と思想内容は一緒に短時間メモリに集められ、しばしば長時間メモリに運ばれて、それらすべてを認識して、我々が会話しているように言われている事に対して追従するのです。

もしそれについて考えるために少しでも立止まるなら、おそらく我々が意識する唯一つの事は、我々に言われている事のいくらかを理解し、忘れないということです。 このことは、あるいは車の運転に似ています。 この場合、我々の目は交通状態、信号、何らかの音等から影響を受けており、ハンドル、アクセル、ブレーキへの肉体的反応は、機械的に行われるので、後から特別に細かい事を聞かれても正しく答える事が出来ません。 特定の出来事から受ける刺激に対する、この様な習慣になっている反応は長期間に渡り、なおさら強烈に保持されるています。 一旦始まった反応は、それ自体で自動的にかつ完璧に遂行されます。

他の例として、次のような珍しい事があります。 長い間注意を払わなかったり、ほとんど興味がなかった年少期の心の中にある光景や音を、時々思い出すということがあることは従来から良く言われています。 その時にまたは後で感じてない事でさえ、ある種の状況の元で、それを思い出す事が出来るのです。 ある一人の老女は、何年も前に聞いた事がある(外国語の)長いスピーチを言葉通りに思い出しました。 他の老女は、自分が全く理解できない言語である母親の母国語で歌を歌いました。 専門家は、長期間メモリは永続的なまたは正確な記憶を意味するものではない、と言っています。 全ての記憶は時とともに薄まり、消え去りがちであり、その上種々の見方から変化させられるので、歪められたり、時にはオリジナルと反対の意味になったりします。

一つの例外は、肉体上に関連した技能と結びついた記憶です、例えば楽器の演奏、乗物の運転、速記術、電信術など。 何年もそういった技能を使わなかった人でも、十年後でも驚くべき機敏さをしめすことがあります。 一般的にちょっとした練習で身体的な障害を除いて、ほとんど完璧に近いパーフォーマンスを取り戻すことが出来ます。 こういった事は、何度も繰り返し実証されています。 電信技能を改善させる時の明確なもっと良い方法を求める場合に、この魅力的な主題について、もっと研究する余地がありそうです。

テープを目で見て符号を読みとる商業オペレーターは、我々が知っている様にcwを学んだ者は極めてまれで、テープ上の文字や単語の塊として視覚的に覚えています。 このテープリーディングには違った一面があります。 時系列的ではなく、文脈の前後関係で印刷物を読むのです。 35-40WPMのスピードに慣れていたあるオペレーターが、5年間オペレートから離れていました。 モールスを聞くために着席した時、15WPM位しか取れませんでした。私は、信じられなかった! 正午には24WPMになり、午後遅くには彼は、もとのスピードまで戻っていました。 ほんの数時間の練習が必要なだけでした。 実に途方もなく錆付いたものだと彼は、言っていました。
 

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