BMの今では昔の話 (30) 世界最初の電子メール

モ-ルス(1791-1872)は米国マサチューセッツ州出身で11人兄弟の中長男に生まれて電気と化学を専攻したが肖像画家でも優れた才能があった。 ヨーロッパ留学を終えて帰ってくる船上で電信機製作の思いつきを得て実用電信機を完成して後日電信を電気通信事業として確立することになった。
1835年ニューヨーク大学の教授であって,ゲイルという化学教授と親しくなってゲイル教授を薫役者として電信機を完成することになる。 モールスが初めて作った符号もゲイル教授が新聞社に行ってどんな文字が一般的にたくさん使われるかを調査してこれを基に一番使用頻度が多い文字を一番簡単な富豪に変えた。 これは情報伝送理論上とてもすごい発想ということができる。 このようにして作られたモールス信号が米国のContinental Codeとして現在の使用されている英文モールス信号だ。
何回も試験を繰り返して線路を利用して遠い所にメッセージを送る試験は終わったが当時でも政府と国会議員らは通信線路付設に莫大な予算を手当てしたり、実用性自体にも確信を持つことができなかった。 このようにして数年の歳月が流れた。
1842年12月いよいよモールスは特許議員中の一人のエルォス氏の支援を得て二度も請願をしてモールス提案に対して30万ドル支出提案が可決された。
モールスの提案が議会で通過するや直ちにワシントンとボルチモア間約40マイルの電線を付設することになった。 当初通信線は地下に埋設するようにして工事を施行したが途中絶縁不良など予期できない障害が発生して電線を全部引き出して電柱をたてて電線を全部地上電柱に架設することになった。
1844年5月24日ワシントンとボルチモア間電信回線が開通した日だ。 この日モールスがKeyをとり史上初めて発信されるメッセージは"What hath God wrought" “神様が成し遂げられた。”という旧約聖書民数記第23章の聖書一節を打電した。
モールスがワシントン議事堂で直接送信した電文をボルチモアで待機していた薫役者ゲイル教授が受信して直ちにその電文をモールスにそのまま打電して通信線路を利用して瞬間的にメッセージが往復されたのを立証した。 言ってみればこれが世界最初の電子メールであるわけだ。


(薫役は役事を監督することと韓国の大辞典にありました :訳者)

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