BMの今では昔の話 (23)
1988年10月第7次IARU 第3地域ソウル総会があり、89年2月には未修交共産国家と交信が開放となった。
未修交国家と交信が開放される前にはいわゆる敵性国家としてこれらとシグナルリポート,名前だけやり取りしても敵性国家と交信したという理由だけで電波監視局から警告状が飛んでくることもあった。
今考えてみれば本当に可笑しい話だ。 その頃韓国アマチュア無線にすい星のように現れた男......ではなく,すい星のように現れた女性がいた。名をカン・ハクチャ,HL1IMT,女性ハム,プラインドハム,電信,難しい条件を全部揃えた方である日電信バンドに現れた。 私はその方が初めて電信に出てくる時から関心があって見てきたし毎日会って詳しく指導もした。 彼女の技量は日ごとに向上した。 6ヶ月ぐらい過ぎると全く遜色なしで完ぺきに近かったし誤打もことのほかなしで一日一日速度も向上するのを感じることができた。 1年頃後からは日本をはじめDX局とも自由に交信をしていた。 神様は真に公平だ。 とする言葉をカン・ハクチャ氏を見て実感できるように感じた。 誰かがいったように"障害は障害(?)でなくちょっと不便なだけだ,"と。 神様は目が見えないという障害の代りに他の器官に何倍,とか何十倍鋭敏な感覚をもっと持つようにして正常な人を恥ずかしくまでするようだった。 カン・ハクチャ氏の話を最後に80年代の話はここで締め切って次からは90年代の話へ移って行く。 |
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