BMの今では昔の話 (10)

この時私の考えは30余年間職場生活をしたので今はちょっと自由になっても良いだろうと考えて,長男が結婚して日本の東京で宣教師に出て行っているもので,息子を助けるのをかねて,また日本の友人たちが多いために日本でCALLを受けて韓国と交信することもしたかった。
その時会社では駅三洞(ヨクサムドン)に本社社屋(ウドクビルディング)を作っていたし,大関嶺(テグァルリョン)に研修院基礎工事が進行していた。
"会長様大関嶺(テグァルリョン)研修院を私にまかせればもう一度熱心に仕事をします。""OK"会長様のサインひとつで定年退職した私がそうそうたる多くの競争者をはね除けて大関嶺(テグァルリョン)研修院長を引き受けることになった。 通信技士で入社して今日に至るまで優れた才能があるからではなく誠実一つだけを守っての働きの決算だと考えた。
50年近くHAM生活と職場生活(家と職場にHAM装備設置)を一緒にしてこれから展開する1984年から1998年まで15年間大関嶺(テグァルリョン)時代が私には最上,最高の楽しくて充実するハム生活をしたと自負したい。 海抜900メートルの高山高原地帯で全国,全世界に向かって思う存分電波を飛ばしたから。
そういえば今日がまさに8月23日,私の79回誕生日だ。 25年前私の誕生日にあった話をしていることのようだ.......
つづく...
次は70年代にし終えることができなかった話を少しして大関嶺(テグァルリョン)時代に.....


(原文掲載日2009年8月23日:訳者記入)

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