BMの今では昔の話 (04)
5.16軍事革命が起きた1961年末H会社副社長と面談結果私の印象がとても良くすぐに特別採用をする、明日から出勤しろということであった。
翌日から出勤して私設無線局設置に関する計画書を作成決裁を受けて逓信部(情報通信部)と関連部署へ熱心に通い,無線機も準備して2ヶ月ほどで許可状を受けた。 呼び出し符号は本社が6LS30工場が6LS31であり使用周波数は4MHz帯であった。 これとともにそのように渇望したアマチュア無線局も許可を受けてHM1BMの呼び出し符号で無線室の傍らにHAM装備も設置して運用することになった。 実は私が海軍軍艦に乗っていてUC生活を3年近くしていた経験があったので私の胸のときめきは言い表すことができないほどだった。 UC生活当時呼び出し符号は日本の呼び出し符号をまねて使った,日本電信符号で主に日本局と交信し日本局より電信をもっと上手くやったために(アマチュアではなくてプロだったので)全く疑いの素地がなかった。 それでも尻尾が長ければ捕えられるというが,幸いなことにしばらくして除隊することになった。 その当時H会社の本社は今のソウル市庁そば釜山(プサン)銀行が入っている建物だった。 その時ラーメンが初めて出てきて販促社員がバーナーと鍋を持って事務室ごとに持って歩き回って味を見せたりしたが初めて味わうラーメンの味がどんなにおいしかったか.... 本社はすぐ後があの有名な武橋洞(ムギョドン)裏路地だ。 その時ジャージャー麺一杯に10ファン,15ファン,ラーメンが初めて登場した時価格は7ファンだった..... つづく.... 次はエレキ-のはなし |
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