BMの今では昔の話 (18) ハンセムNET 1

私が大関嶺(テグァルリョン)にきたのも1年を越えた。 夏には東海岸避暑,冬には龍坪(ヨンピョン)スキー場に行き来する全国のハム家族らがたくさん聞こえたりした。 江陵(カンヌン)に江陵(カンヌン)支部(今の本部)があって支部会でも,ハムたちだけの出会いの場,憩いの場ともなった。 ハム家族らも週末となればここにきて一日二日休んで行くこともあった。 会社に分かれば叱られることだが一度ハムは永遠のハムとの考えで会社施設を私物であるようにサービスの対象にした。
その頃三陟(サムチョク) MBCアナウンサーであるHL2DDFが出てきてしばしば交信をしたがアナウンサーらしく洗練された声とスマートなマナーがあまりにも良かった。 朝の出勤準備をする時間7時30分から8時30分まで7066から出て交信すれば全国からBKを仕かけてきて簡単に朝のあいさつをしていったりした。 ある方は食卓の向かい側で,またある方はネクタイを締めながらマイクを握るといったように。 朝一度マイクを握らなければのどになにか刺ささったものがあるようだという人もいた。 このようにして自然にNETが形成されてNETの名前をハンセムNETと名づけた。
1986年7月26日,27日江陵(カンヌン)フジン海水浴場でHL8V/2の移動運用をしながら全国からハンセムNET会員たちが第1回アイボールミーティングで海水浴場に集まった。 この時海水浴場で広がったおもしろい思い出一つが浮び上がる。 あらかじめ参加申請受けつけのために帽子にCALL SIGNを貼り付けて記念品として一つずつ渡すように準備をした。私と何人かが先に行って準備をした。 CFYが来て私の帽子と変えてかぶろうといった。 この日集まった人員は全員で24人であった。 全部NETでボイスで会っているが何人かを除いては顔を分からない状態での初めての出会いなのだ。 CFYが私の帽子(BM)を使って行ったり来たりして案内をし準備をしたが,皆ではなかったが,違うなというような変に感じる表情であった。 いくら顔は分からないとしてもON AIRで会ったイメージと雰囲気があるのでまったく違ったようで、誰かが執拗に尋ねてとどのつまりばれてしまった......
つづく

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